ゆるり鑑賞 Yururi Kansho

映画や海外ドラマ、たまに本の感想を基本ネタバレで

ベルサイユの子

監督・脚本:ピエール・ショレール
(2008年 フランス)

【物語のはじまり】
夜のパリ。ニーナ(ジュディット・シュムラ)は
エンゾ(マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ)を連れ
今晩寝る場所を探していた。
路上で保護された親子はベルサイユまでつれてこられる。
森へと迷い込んだ彼女は、ダミアン(ギョーム・ドパルデュー)と出会い…。

リアリズム重視。飾られた涙はいらない。

ここでのニーナ(母親)は職を得て自立する意欲があるのに、
ホームレスになってしまった人物として描かれている。
また雇用主との会話から、彼女が家族や周りから
愛されている実感を感じ取れなかった過去が見えかくれする。

そんなニーナが介護施設で老女から言われる言葉にハッとする。
彼女の胸のうちを思い、熱いものがこみあげてくるのだ。
誰かに必要とされる、自分が社会の役にたっているという
気持ちを持てたせいか、おだやかな表情の彼女がそこにいた。

しかし、その仕事を得る為に母親がとった軽率な行動によって
その後の彼女の人生は後悔の念がつきまうものになったんだろうなぁと
予測される。ラストまでこの母親の事は私の頭から離れなかった。

エンゾ役のマックスくん、すごいなー。あまりにもフツーでリアル。
子供の部分だけ観ると、ドキュメンタリーみたい。
そして、厳しいホームレス生活の中にも子供がいる事で
笑いやなごみが生じるさまがなんとなく伝わってくる。
現実を無視すれば、森の中の生活の描写には何か惹き付けられるものがあって
実際には不可能でも「森に帰りたい」というエンゾの言葉にはうなずいてしまった。

社会に順応はできないけれど、人との繋がりを断ち切っては生きていけない現実。
そんな葛藤が伝わってくるシーンの多かったダミアンは、
ニーナとは対照的に自らホームレスとしての生活を選択している感がある。
それは、ラスト近くの彼の行動でやっぱりか!と確認させられるんですが。
なんだか、もう一度ギョームの姿も見たかったなぁ。
不思議にせつない気分です。

疑問に思ったのは、映画の中での認知手続きの方法は
フランスでは可能なんだろうか? という事。
でっちあげの話で、肉親として認知されるというのは
なんだかちょっと都合のいい感じがしました。
事実はどうであれ、エンゾに対するダミアンの気持ちを表す設定と解釈し、
私自身もホッとしたのは確かなんだけれど。
将来、本当の母親が現われたらその時はどうなるんだろう、とか
いろいろ考えてしまいましたね。

テアトル梅田にて鑑賞。