ゆるり鑑賞 Yururi Kansho

映画や海外ドラマ、たまに本の感想を基本ネタバレで

「新しき土」 〜原節子七変化〜

tochter

公式サイト:http://hara-eiga.com/

監督・脚本:アーノルド・ファンク、伊丹万作
撮影:リヒャルト・アングスト、上田勇、ワルター・リムル
撮影助手:ハンス・シュタウディンガー
演出助手:ワルター・ジャーデン、ヘルベルト・チャーデンス
撮影協力:円谷英二
美術・装置:吉田謙吉
衣装:松坂屋
模型:浅野孟府
編集:アリス・ルートヴィヒ、アーノルド・ファンク
録音:中大路禎二
音楽:山田耕筰
作詞:北原白秋、西條八十
演奏:新交響楽団、中央交響楽団
製作:Dr.Arnold Fanck-Film、J.O.スタジオ、東和商事G.K.
プロデューサー:川喜多長政、大沢善夫、アーノルド・ファンク
進行:カール・ブーフホルツ
(1937年 日本/ドイツ 106分)
ドイツ語タイトル:Die Tochter des Samurai(侍の娘)

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
欧州留学を終え、ドイツ人女性ジャーナリストと共に帰国した青年輝雄(小杉勇)は、
一途に待ちわびていた許婚の光子(原節子)と、その父巌(早川雪洲)に温かく迎えられる。
しかし西洋の文化に馴染んだ輝雄は、許婚という日本的な慣習に反発を覚えて悩む。
輝雄の変化に気付いて絶望した光子は、婚礼衣装を胸に抱き、
噴煙を上げる険しい山に一人で登り始める・・・
(公式サイトより転記させていただきました)

摩訶不思議な映画。

1937年公開のこの日独合作映画は、当時の日本とナチス・ドイツの政治的・軍事的意図により
製作された作品でもあるようです。
日独版(ファンクが責任監督・編集)と日英版(伊丹が責任監督・編集)の2本の異なるフィルムが作られ、
当時は、これらが並行して公開されたようです。
(今回上映されたものはおそらくファンクバージョン)

冒頭、日本地図の立体模型のあちこちから煙が上り、日本=火山の国というのが
やたらと強調されます。
監督の一人、アーノルド・ファンクという人は、山岳映画で知られる監督さんなんですね。
この人、火山を使った山岳モノを作りたかったのかしらん。ラストの火山のシーンが
やたら長いながい。。。。

また、日本の春や富士山をバックにした美しい風景が多用されていますが、
どうにもツギハギだらけな印象が否めません。
光子の家の裏が厳島神社だったり(これには驚いた!)、
東京のはずやのに阪神電車のネオンサインがあったり、
僧侶が「神道」の教えを説いていたりと。

帰国した輝雄と妹が出かける先も、花見の後は相撲・能・日本舞踊等の
ザ・日本文化のオンパレードで、いかにもドイツに日本を紹介する展開がミエミエな感じ。
深読みすると、日本文化に触れた輝雄が日本の良さを思い出すという
ストーリー展開なのかもしれないけれど、それはかなり苦しいかな。

ちなみに、登場人物の東京での宿“ホテルヨーロッパ”は、一瞬“帝国ホテル”かと思いましたが、
兵庫県西宮市にあった旧甲子園ホテルが使われているそうです。
設計者はフランク・ロイド・ライトの愛弟子、遠藤新さんだという事で、どこか似ているのかも。
このホテル(今はもちろんホテルとしては使われていません)は実家の近くにあるので、
以前母と見学に訪れたことがあるのですが、全く気がつきませんでした。私の記憶力って。。。。

輝夫が留学している間の光子の様子を映し出す映像が、
原節子のプロモーションビデオみたいな内容で、
セーラー服や水着まで、彼女の若く美しい姿が映し出されています。
彼女はどちらかというと日本的な美人ではないので、洋装が美しいですね。

しかし、ここまでの国策映画とは予想しなかったですね。
「この狭い国土に、人が多すぎる」という言葉が何度も出てきます。
新しき土(新しい土地・満州)に日本人の手で国家建設をするべきだという
傲慢な考え方や、ラストシーンのあのアップにもちょっと嫌悪感が。

全体的に、へんちくりんな映画には違いないと思うのですが、
歴史的背景も合わせてこの映画を見ると、面白いかもしれません。

最後の特撮シーンを見て、なんだか円谷プロの作品みたい。。。。と思っていたら、
なんと『特殊撮影は円谷英二の手によって行われた』とありました。なるほど〜。

テアトル梅田にて鑑賞。
 

「少年と自転車」 〜皆、誰かの大切なひと〜

VELO

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/jitensha/

監督・脚本・製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
助監督:カロリーヌ・タンブール
撮影監督:アラン・マルコアン
美術:イゴール・ガブリエル
衣装:マイラ・ラムダン=レヴィ
製作:ドニ・フロイド
製作総指揮:デルフィーヌ・トムソン
(2011年 ベルギー/フランス/イタリア 87分)
原題:LE GAMIN AU VELO

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
もうすぐ12歳になる少年シリル(トマス・ドレ)。彼の願いは、
自分をホーム(児童養護施設)へ預けた父親(ジェレミー・レニエ)を見つけ出し、
再び一緒に暮らすこと。
電話が繋がらない父を捜すため、シリルは学校へ行くふりをして
父と暮らしていた団地へ向かうが呼び鈴を押しても誰も出ない。
シリルを探しにきた学校の先生から逃れようと、診療所に入り、
そこにいた女性にしがみつき離れないシリル。
「パパが買ってくれた自転車があるはずだ!」とシリルは言い張るが、
部屋をあけてもそこはもぬけの殻だった。
ある日、ある女性がシリルを訪ねてくる。
先日の騒動の際にシリルがしがみついた女性、サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)だ。
(公式サイトより転記させていただきました)

少年シリルの行動がせつなくて、冒頭から胸が締め付けられます。
親に見捨てられた子供がそれを認めるのは困難な事だろうと、想像するしかないのですが。
子供にとっては親は全てですよね。少なくとも幼いうちは。

どんな親であろうとシリルは父親を求めているのです。そんなシリルを見ていると
イゴールの約束』(1996年)で描かれる父子の関係を思い出します。
息子を悪の道に引きずり込む父親にもかかわらず、イゴールは父に従い彼の役に立とうとします。
それは、シリルの父親に気に入られたい愛されたいという気持ちと、重なる部分を感じます。

これまでのダルデンヌ兄弟の作品では、貧困や移民問題、罪を許すことの意味、
非行に走ったまま更正できない若者などなど…色々と重くるしいテーマが扱われてきました。
が、ネグレクトされている子供の問題は一番切ないです。
世界中の子供が皆“自分は大切な存在なのだ”と思える社会を作るのは
大人の義務ですよね。。。私自身も何もできていないのですが。

薬の売人の本性を見抜けず、彼の役に立ちたいと思うシリルの行動は、
父親に向けるはずの愛情の代替行為のようなものでしょうか。
このチンピラのキャラクターは、『ある子供』(2005年)で少年を手下に使い
悪事を働くブリュノ(ジェレミー・レニエ)と共通しています。
売人が組織の一員とかではなく、ただの小悪党でまだ良かった気もしますが。

しかし、ダルデンヌ兄弟の映画は緊張感があって疲れますね。
そうそう、今回は音楽がここ!というシーンで挿入されています。
それから、セシル・ドゥ・フランスが重要な役で出演していますよ。
愛情を押し付けない、一歩引いたところからシリルを見守るような
あっさりとした彼女のキャラクターには好感が持てます。
それだけに彼女の涙には、泣けました。

最後の最後で、あぁなんて悲しいお話にしてしまうの!と一瞬思いましたが、
そうじゃないんですよね?! そうじゃないと思います。

今作品で育児放棄している父親役のジェレミー・レニエが、『イゴールの約束』で
少年イゴールを演じたのは14歳の時。シリル役のトマス・ドレ君も、
ジェレミーのように大人になった後も素晴らしい役者になるかもしれませんね。

梅田ガーデンシネマにて鑑賞。
 

「別離」 〜神様は見ている〜

SIMIN

公式サイト:http://www.betsuri.com/音が出ます!

監督・脚本・プロデューサー:アスガー・ファルハディ
撮影監督:マームード・カラリ
編集:ハイェデェ・サフィヤリ
美術・衣装:ケイヴァン・モガダム
メイキャップ:メーダッド・ミルキアニ
音響デザイン:モハマド・レザ・デルパック
音響編集:レザ・ナリミザデー
ミキサー:マームード・サマクバシ
プロダクションマネージャー:ハッサン・モスタファヴィ
エグゼクティブプロデューサー:ネガー・エスカンダーファー
(2011年 イラン 123分)
英題:JODAEIYE NADER AZ SIMIN

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
テヘランで暮らす妻シミン(レイラ・ハタミ)は、11歳になる娘テルメーの将来のことを考えて、
夫ナデル(ペイマン・モアディ)とともにイランを出る準備をしていた。
しかしナデルは、アルツハイマー病を抱えることとなった父を置き去りにはできないと
国を出ることに反対。夫婦の意見は平行線をたどり、シミンが裁判所に離婚申請をするが、
協議は物別れに終わる。 (公式サイトより転記させていただきました)

オープニングから、登場人物達のまくし立てるような話し方に圧倒されます。
立て板に水といったかんじで、しゃべるしゃべる。自己主張しますねー。
ここでは対立する人間関係が描かれているので、必然的にそういったシーンが多くなります。

一つは夫婦間の意見の相違による対立。
この夫婦はお互いにまだ愛情を持ち続けているようなのですが、
お互いに譲れない気持ちが強すぎてどうにもならない状況に陥っています。

二つ目はこの夫婦と、介護に来ていた女性の家族の対立。
父親をベッドにしばりつけて外出した女性・ラジエーに腹を立てたナデルが、彼女をドアの外に
押したのが原因なのか、ラジエーの入院が発端となっています。

果たして、ナデルのせいでラジエーは流産したのか?
また、ナデルはラジエーが妊娠中なのを知っていたのか?
ナデルの家からお金を盗んだのは誰なのか?

3つ目の疑問は最後まで解決しませんでしたが、真実はいったいどこにあるのかと
気になって夢中で見ていました。123分を感じさせない面白さですが、重い話ですね。
そこには、ラジエー一家の貧困があり、老人介護の問題もあります。

登場人物はそれぞれにキャラクターが強烈。

夫・ナデルは常識的で善良な人なんですが、逆にそれが災いしたというか。
「夫に内緒で来ている」とラジエーが言っていたにもかかわらず、
彼女が入院している病院に行ってしまうのはまずいでしょう。
あのまま顔をださなければ、訴えられることもなかったはず。

また、ギャーライ先生に電話したのも軽率でしたね。
あれでは、自ら二人の会話を聞いていたと証拠を残したようなものですし。
でも彼にとって一番の失態は、娘・テルメーにも自らを恥じるような行動を
結果的にとらせてしまった事だと思います。あのテルメーの涙は重いです。

妻・シミンは知的で行動力もあるけれど、ちょっとひとりよがりな所も感じられます。
海外移住に協力しない夫に腹を立ててるのはわかるけど、それで実家に帰るという行動はよくわからないし。
義父をずっと介護していて、そこから解放されたいという気持ちもあったのかもしれません。

そして、何もかも話をややこしくする原因はこの人にあるのでは?と思うラジエー。
色んな意味で無理のある仕事を引き受けたのは、夫の借金を返すため。
そんなラジエーを紹介したシミンの義姉にも、ちょっとは責任があるかも。
敬虔なムスリムの彼女は、最後の最後でまた話をひっくり返してしまいましたしね。

ラジエーの夫・ホッジャト、一番興奮してはりましたね。なにかにつけてカッカしてたし。
とにかく疲れます、こういう人。

イラン社会の現状を少しだけ見ることができたような気にもなります。
同監督の『彼女が消えた浜辺』は、一昨年見逃した作品。こちらも気になるところ。

梅田ガーデンシネマにて鑑賞。
 

「果てなき路」 〜映画の罠〜

road01

公式サイト:http://www.mhellman.com/音が出ます!

監督・製作:モンテ・ヘルマン
脚本・製作:スティーヴン・ゲイドス
製作:メリッサ・ヘルマン
製作総指揮:トーマス・ネルソン、ジューン・ネルソン
撮影:ジョセフ・M・シヴィット
音楽:トム・ラッセル
音楽監修:アナスタシア・ブラウン
編集:セリーヌ・アメスロン
VFX:ロバート・スコタック
美術監督:ローリー・ポスト
(2011年 アメリカ 121分)
原題:ROAD TO NOWHERE

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
ハリウッドで活躍する気鋭の若手映画監督ミッチェル(タイ・ルニャン)は、新作の製作に着手する。
彼は、ノースカロライナで起きた事件を基にした物語に必須なのは、
主人公ヴェルマ役にぴったりの女優だと考えていた。
そんな折、多数のオーディション映像の中から、
無名のローレル(シャニン・ソサモン)という女優を発見する。
(シネマトゥデイより転記させていただきました)

不勉強なので、モンテ・ヘルマン監督の作品は初めての鑑賞です。
「断絶」(1971年)が有名(大コケしたという意味でも)だという事ですが、
いわゆるアメリカン・ニューシネマの作品は、元々あまり見てないし。
で、先入観無しに見ることはできました。

この映画、たぶんハマるとクセになるかも。

女性がパソコンでDVDを再生するシーンから始まり、
やがてその映像がスクリーン一杯に映し出されます。映画の中の映画の始まりです。
ベッドの上に座る女性がドライヤーでマニキュアを乾かしているんですが、
そのうちにドライヤーを自分自身に向け、何か不吉なモノを予感させます。

映画は続き、その後の突然の銃声と、飛行機の出現は衝撃的です。
衝撃的といえば、ラスト近くの展開も急激でしたけど。

最初に登場するこの「果てなき路」という映画の話と、
この映画の製作にとりかかる過程や撮影現場という現実の話と、
「果てなき路」の原作ともいえる過去の事件にまつわる話の
3つが入り組んで、見ているうちに訳がわからなくなってきます。

作品と現実、映画中映画と映画中現実との境界線もあいまいになっていきます。
いかのも怪しげな保険調査員ブルーノ(ウェイロン・ペイン)や、
劇中映画の原作でもあるブログを作成したナタリー(ドミニク・スウェイン)とか、
出て来る人物は、どことなくB級映画の雰囲気がただよわせていて
そこが逆に私には面白かったですね。

ローレル(ヴェルマ)役のシャニン・ソサモンは、いかにもファム・ファタール的な匂いがして
見ている者が「ヴェルマ役は彼女しかいない!」と思ってしまうところが、
映画の中と監督同じじゃないですか。これもまた、一種のデジャヴ体験?

シャニン・ソサモンは「ホリデイ」ジャック・ブラックの恋人役だったらしいけど、全く記憶にない。
今作品でのこの役だからこその存在感だったのかも。

この映画ね、わからないところが多々あってもう一回観たい気になってしまうんですよね。
そこは、あえてそうしてるのか?と思ったりして。罠なのかもしれないと。

映画の中の監督・ミッチェル・ヘイヴンは、モンテ・ヘルマン監督自身の姿が
投影されたものかもしれませんね。
名前こそ、ヘイヴン(ヘヴン)←→ ヘルマン(ヘル)と真逆ですが。
ミッチェルがローレルと夜中に見る映画は「ミツバチのささやき」「第七の封印」、
もう一本は知らなかったのですが「レディ・イヴ」という1940年代のアメリカ映画らしいです。

十三 第七藝術劇場にて鑑賞。
 

「アーティスト」 〜ラストが楽しい♪〜

artist01

公式サイト:http://artist.gaga.ne.jp/音が出ます!

監督・脚本:ミシェル・アザナヴィシウス
音楽:ルドヴィック・ブールス
(2011年 フランス 101分)
原題:THE ARTIST

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
1927年、ハリウッド。サイレント映画界きっての大スター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)は、
共演した愛犬と共に新作の舞台挨拶で拍手喝采を浴びていた。
熱狂する観客たち。映画館の前も大混乱となり若い女性ファンがジョージを突き飛ばしてしまう。
優しく微笑むジョージに感激した彼女ペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)は、
大胆にも憧れのスターの頬にキスをする。(公式サイトより転記させていただきました)

花見やらなんやらで浮かれている間に、10日以上もブログを放置していました。
先週鑑賞した2本のうち1本は、アカデミー賞5部門受賞の影響もあり
いまや大いにメジャーな作品となったこれ。

サイレントという手法を取っているくらいなので
ストーリーに関しては、あえて古典的にベタベタな感じにしたんでしょうね。
物語ではなくエッセンスを楽しむ映画ですね。そこに乗れるかどうかで評価が分かれるかも。

私自身は、作り手の過去の映画に対する愛着を感じつつも、
主人公がフィルムを焼いてしまうという行為に嫌悪感を抱き
なんだか好きとは言いきれない作品だなぁなどと思っていました。

ジャン・デュジャルダンのやに下がったご面相がなんだか好きになれなかったのも要因の一つ。
彼の演じたジョージ・ヴァレンティンという役にも、魅力が感じられなかったのが残念。

それでも、ベレニス・ベジョがすごくチャーミングで良かった。
ラストは楽しかったし。というか、ミュージカル映画がやたら見たくなる結末です。
運転手のクリフトン役は「ベイブ」(95)のジェームズ・クロムウェル

ジョージの愛犬役アギーがすごく芸達者で可愛くて。あぁ、犬の一途さにはやっぱ弱いわ。
artist02
ジャック・ラッセル・テリアの出てる映画、「マスク」(1994年)や「マイ・ドッグ・スキップ」(2000年)等、
つい最近では「人生はビギナーズ」なんかを、また見たくなります。

この映画、2回目以降は1000円で見られる“リピーター割引”があるのが良いですね。

大阪ステーションシティシネマにて鑑賞。
 

映画なしの休日 〜草間彌生展など〜

4月8日まで国立国際美術館(大阪市北区中之島)で開催中の
「草間彌生 永遠の永遠の永遠」に滑り込みセーフで行ってきました。

kusamaten01

「愛はとこしえ」よりも、色彩が加わった「わが永遠の魂」のシリーズの方が
やはり個人的には見ごたえがあります。

以前、NHKBSで放送された「前衛芸術家草間彌生の疾走」の中で
草間さんが全力をかたむけて描いてはった、あの絵の数々を生で見る事ができたのです。
彼女の絵に囲まれていると、圧倒されるというかある種の息苦しさを感じます。

近くに寄ってよくよく細かいところを見ると、所々に可愛いキャラクター(?)や絵柄を
みつける事ができて、ちょっと和んだりするのですが。

最後の作品、鏡の中に無数の光の水玉が浮かび上がるような、“魂の灯”は
いつまでもそこに居続けたくなるような空間です。ここにはもうちょっと居たかったな。

kusamaten02

その後、国立国際美術館から歩いて20分くらいで行ける
「梅の花」の西梅田店で、花ランチをいただきました。
ここは株主優待券を使って年に2回ほど伺うお店ですが、
優しい味わいのお料理を食べてゆっくりとくつろげます。

お店の中は中高年の女性で賑っていて、なんだか非現実的な草間彌生さんの世界から、
一気に俗世間に舞い戻ったという気がしました。
 

「ドライヴ」 〜予想以上にバイオレント〜

drive

公式サイト:http://drive-movie.jp/音が出ます!

監督:ニコラス・ウィンディング・レフン
原作:ジェイムズ・サリス
脚本:ホセイン・アミニ
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
編集:マシュー・ニューマン
音楽:クリフ・マルティネス
衣装デザイン:エリン・ベナッチ
プロダクションデザイン:ベス・マイクル
スタント・コーディネーター:ダリン・プレスコット
製作総指揮:デヴィッド・ランカスター、ゲイリー・マイケル・ウォルターズ、
        ビル・リシャック、リンダ・マクドナフ、ジェフリー・ストット、ピーター・シュレッセル
製作:マーク・プラット、アダム・シーゲル、ジジ・プリッツカー、ミシェル・リトヴァク、ジョン・パレルモ
(2011年 アメリカ 100分)
原題:DRIVE

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
天才的なドライブテクを武器に、昼は映画のカースタント、
夜は強盗逃し専門の運転手をしているドライバー(ライアン・ゴズリング)。
ドライバーはアイリーン(キャリー・マリガン)にひそかに思いを寄せていたが、
彼女には服役中の夫スタンダード(オスカー・アイザック)がいた。
ある日、服役から戻ってきたスタンダードがガレージで
血まみれで倒れている姿をドライバーが目撃し……。(シネマトゥデイより転記させていただきました)

冒頭、いきなりくりひろげられるカーアクションにドキドキする。
で、その後のオープニングの感じが、なーんかB級っぽいのです。
ピンク色のクレジットのせいか、音楽のチョイスのせいか、
はたまたドラマのようなカット割のせいか、なんとなく安っぽい匂いがするんですよね。

個人的には、CGを使ってアクションや爆破シーンをてんこ盛りにした映画よりは
こういった手作り感のある小さな作品の方が好みではあります。

ライアン・ゴズリングは、あまりセリフのない寡黙な男の役。
キャリー・マリガン演じる健気な人妻アイリーンも無口なので、
二人のシーンは目で語り合うとういうか、間が独特です。

そんな平和でまったりしたシーンがしばらく続くのですが、
アイリーンの夫が出所してから急激に、クライムサスペンス的展開になります。
で、まずい事になるんやろなぁと見ているこっちは予想するんですが、
まさにその予想通りになるんですよね。

一つ言えることは、物語でみせる映画じゃなく、役者の魅力でみせる映画という事です。
特にライアン・ゴズリングが、カッコよかったなぁー。
この主人公には、犯罪者でありながら誠実さと愛情にあふれた人柄を持つという
二面性を持たせていて、見る側は引きつけられるのです。

ただ、数々の残酷な暴力シーンにはひるんでしまいます。
特にエレベーターでの暴力にはかなり引いてしまいました。
それが唯一のキスシーンの直後というのが、ある意味効果的ではありましたが。
暴力シーンが苦手という方には、正直あまりお薦めできないです。

個人的には、音楽の使い方があまり好きじゃなかったかも。
ちょっとセンチメンタルな方向に傾きすぎのような気がして。

梅田ブルク7にて鑑賞。
 

「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」 〜衣装が気になる〜

help

公式サイト:http://disney-studio.jp/movies/help/音が出ます!

監督・脚本:テイト・テイラー
原作:キャスリン・ストケット
製作:クリス・コロンバス、マイケル・バーナサン
音楽:トーマス・ニューマン
衣装:シャレン・デイヴィス
(2011年 アメリカ 146分)
原題:THE HELP

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
作家志望のスキーター(エマ・ストーン)は南部の上流階級に生まれ、
黒人メイドの存在が当たり前の地域社会で育ってきた。
だが、大学から戻った彼女は、白人社会でメイドたちが置かれた立場が、
もはや当たり前には思えなくなってくる。
そして、身近なメイドたちにインタビューをしようと試みるが、
彼女たちにとって真実を語ることは、この南部という地域社会で生きる
場所を失うことを意味していた…。
(公式サイトより転記させていただきました)

「ゾンビランド」「ラブ・アゲイン」等、イケてる映画で存在感を感じさせた、
若手注目株のエマ・ストーンが主演です。

語弊があるかもしれませんが「予想どおりの映画」という印象です。いい意味で。
そして、「リリィ、はちみつ色の秘密」(2008年)を思い出します。

まだまだ黒人差別の強い1960年代のアメリカ南部が舞台で、
人種的偏見をもたない白人女性が話の軸となっている事や、
緑豊かな映像の美しさなど、2つの映画は共通する部分があります。

「リリィ…」とは違い、今作品は登場人物も大人が中心ですので
もう少し現実的というか「「リリィ…」から甘酸っぱさを取り除いたと感じというか。
それでも、1960年代アメリカ南部の高級住宅街は美しくて目に優しいし、
女性達が着るXラインのワンピースはノスタルジックでキュートです。

衣装のシャレン・デイヴィスは、アカデミー賞の常連のようですが、
この映画では登場人物の個性が、衣装によって上手く表現されてるなぁと思います。
自己主張の強いヒリーが着るインパクトの強い花柄のワンピースや、
逆に周りの意見に流される女友達が着る、垢抜けしないドレスなど。

特に衣装がスキーターが頻繁に着ているブルー系の衣装は、彼女のブロンドに映えて綺麗でした。
細かいプリント模様のワンピースに、前たて部分がデコラティブなカーディガンという組み合わせは
時代を感じさせる可愛らしさ。かつて、この時代のアメリカ古着にはまった事があったのを思い出します。
help02

先進国の中で奴隷制度を最後まで続けた国という事自体、アメリカの恥ずべき歴史だと思うのですが
その後も人種分離法みたいなものが存在していたのは、今考えるとバカバカしいと言うか何と言うか…。
そんなんオカシイやん!と思っていた人は白人の中にも少なからず存在したと思うんですけどね。
保守的な社会では、回りから浮くような意見を言うと村八分にされるというのも
大きな理由かもしれないなぁなどと想像したりします。
いや、村八分どころか下手したら殺されかねない野蛮な社会ですから。あぁ怖ろしい。

あの婦人会みたいな集まり。。。。私の超苦手とするものです。
昔から、仲良しグループみたいな女子の集まりには違和感ありましたから。
自分の目指す事のためには女子の輪から浮いても仕方ないと、ある意味覚悟を決めてる
スキーターには共感できます。でも、彼女は決してとがってないのが良いですね。

あの婦人ボランティアの会みたいなのが「アフリカの子供達を救えてよかった」と言いつつ、
普段の生活ではアフリカンアメリカンを思いっきり差別してるのが、皮肉でしたね。

映画の中では、KKKに殺害される黒人の話が引用されていたりしますが、
作品そのものには重苦しい雰囲気はなく、笑いを誘う場面もたくさんあります。

オクタヴィア・スペンサーの思わず笑ってしまう独特の表情や、
シシー・スペイセクの愉快なおばあちゃん、
メアリー・スティーンバージェンのいかにも都会的キャリアウーマン等、
脇を固める女優陣の魅力も楽しめます。

今もひそかに続く奴隷制度について、考えるきっかけになるかも。

グローバル経済と現代奴隷制グローバル経済と現代奴隷制
(2002/10)
ケビン ベイルズ

商品詳細を見る

↑この本を読むと、奴隷制は過去の話ではないという事がわかります。
著者によると2700万人の奴隷が世界に存在していて、
旧奴隷制度よりもむしろタチが悪いのが、この新奴隷制度。
まずは、そのカラクリについて知ることができて良かったと思います。

TOHOシネマズ梅田にて鑑賞。
 

「僕達急行 A列車で行こう」 〜鉄道の旅に出たくなる〜

bokutachi

公式サイト:http://boku9.jp/index.html音が出ます!

監督・脚本:森田芳光
(2011年 日本 117分)

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
のぞみ地所に勤める会社員の小町圭(松山ケンイチ)と鉄工所2代目の小玉健太(瑛太)は、
鉄道好きがきっかけで知り合い、仲良くなる。

以前、「探偵はBARにいる」を“昭和なドラマ”と例えましたが、
こちらはまんま、“昭和な映画”でした。

シリーズ化されてきた松竹系コメディ映画の趣があるからなのか。
ご都合主義バリバリで、最後にはあまりにも物事がうまく運んでしまうという展開が
そういった印象を抱かせるのか。
最終的には森田芳光監督の笑いのセンスが昭和的なモノを感じさせるのかも。
伊東ゆかりの「小指の思い出」等、昭和的要素を意識して作られているのかもしれません。

いずれにしろ、軽い気持ちで楽しめる作品ではあると思います。
外国人従業員の2人組のあのノリは、ちょっとベタすぎてついていけなかったりするけど。

鉄道オタクでなくてもそれなりにわかる、列車名にちなんだ登場人物の名前や、
特長ある車両のジオラマ等、なんとなく遊びごころを感じる楽しみがある映画でもあります。

京浜急行電鉄では、映画のロケ地を巡るスタンプラリーが開催されていて、
こういうのも楽しそうだなぁと思います。
飛行機も舟も車も苦手は私はだんぜん鉄道派なんで、列車での旅のシーンは
なんとなくワクワクします。
こういう映画がシリーズ化されるのも良いナァなんて思いました。

主役の二人が飄々とした雰囲気で、好感が持てます。
松山ケンイチさんてスーツを着てると、かえって田舎の人っぽい素朴さが前面に出ますね。
逆に、瑛太さんは何着ててもお洒落さんに見えてしまう。そう思うのは私だけかな?

森田芳光監督のご冥福をお祈りします。

大阪ステーションシティシネマにて鑑賞。
 

「ピナ・バウシュ 夢の教室」 〜未知の体験〜

tanz

公式サイト:http://www.pina-yume.com/音が出ます!

監督・脚本:アン・リンセル
撮影監督:ライナー・ホフマン
(2010年 ドイツ 89分)
原題:TANZ TRAUME

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
世界的な舞踊家、ピナ・バウシュのもとに、40人のティーンエイジャーが集まった。
演劇好きの少年、ロマの子、不慮の事故で父を亡くした少女やヒップホッパー…。
性格も家庭環境もバラバラで、ピナの名前すら知らない彼らに共通するのは、
誰一人として、ダンスを習った経験がないこと。そして、たった10ヶ月後に、
ピナ・バウシュの代表的作品「コンタクトホーフ」の舞台に立つこと。
(公式サイトより転記させていただきました)

先日鑑賞した「Pina ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」でも出てきた
「コンタクトホーフ」(1978年、ピナ・バウシュ作)に挑戦するティーンエイジャー達のドキュメンタリー。

このコンテンポラリーダンスは、素人の私が見ても普通のダンスとは一線を画しています。
演じる子供達が習得すべきなのは、ダンスの技術的な面では無いわけでして、精神面が重要というか。
彼らに要求されているのは、自分の内面を解放するという事なのです。

愛がテーマというこのダンス、男女の愛をまだ知らない、知ってても経験の浅い彼らにとっては
なかなかの難題かもしれません。いやぁ、たとえ愛に関する経験が豊富でも、難しいかも。
ましてや、彼らは舞台上でのダンスや演劇の経験が全く無いわけですし。

最初のうちは、ダンスをどう受け止めたらよいのか全くわからないと言ったり、
とまどっている子供達の様子からは、率直にものを言える環境を感じました。
わからないものは「わからない」と正直な気持ちをぶつけてくる子供達の様子は、
ノビノビしていて良いですよね。いくら巨匠と言われる人の作品であっても
理解できない気持ちを伝える事は必要ですから。

自分に果たしてできるのだろうかと不安を口にする彼らですが、
その成長、変化には目を見張るものがありました。
そんな子供達を指導するベネディクトとジョーの眼差しが、とても温かいんですよね。
自分を解き放ち無心に踊るという事は、子供達にとって何ものにも代えがたい経験になったと思います。

そうそう、10ヵ月という限られた練習時間しか無いと言いつつ、その間にも長期休暇は取ってるようでした。
ここらへんは(休暇はきっちり取るという)ドイツ人流なんでしょうか。

「Pina」でも何度も登場した、懸垂式(ランゲン式という種類らしい)モノレールが
ここでも印象的です。まだ二度目の遭遇なのに、何故か懐かしい気持ちになるというか。
この作品を見ると、もう一度「Pina ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」を見に行きたくなります。

テアトル梅田にて鑑賞。