公式サイト:http://www.bitters.co.jp/satantango/
監督・脚本:タル・ベーラ
原作・脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
撮影監督:メドヴィジ・ガーボル
音楽:ヴィーグ・ミハーイ
編集・共同監督:フラニツキー・アーグネシュ
438分/1994年/ハンガリー・ドイツ・スイス
原題:Sátántangó
※ネタバレを含みます
【イントロダクション】
経済的に行き詰まり、終末的な様相を纏っている、ハンガリーのある村。
降り続く雨と泥に覆われ、村人同士が疑心暗鬼になり、活気のないこの村に死んだはずの男イリミアーシュが帰ってくる。
彼の帰還に惑わされる村人たち。
イリミアーシュは果たして救世主なのか?それとも?
(公式サイトより転記させていただきました)
「ニーチェの馬」(2011年)の原点を見た気がした。
すごいエネルギー、執念を感じる。よくこんなモノが撮れたなぁと。
この長さに必然性を感じるか、もっとギュッと凝縮したモノが好きか、好みが分かれるところだと思う。
思い返してみると、昔劇場で見たベルトルッチの「1900年」(1976年)は、長かったとはいえ316分だった。
しかも、歴史絵巻物的というかストーリーに起伏があった。
今回は438分という時間に加え、長回しのタルベーラ作品。
という事で、二度ほど意識が飛びました。
全12章で構成されていて、意外にもメリハリがあり
中盤以降は、全く眠気を感じずに没入できたけど。
オープニング
ぬかるんだ土、吹きすさぶ風、不毛さを感じさせる風景の描写が延々と続く。
どこか現実味に欠けるようなタル・ベーラの世界に、いつの間にか入り込んでいる不思議な感覚。
タル・ベーラいわく「俳優が逃げることができずに状況の囚人となる」な長回しは、観客に緊張感を与えるという効果も狙っているよう。
その緊張感にプラスされるのがモヤモヤとした不安感
ここでは、イリミアーシュがいつ現れるのかという不安と、その時が先延ばしにされているかのような構成から不吉さも感じる。
そんな重苦しい空気の中、踊り狂う村人達!
このシーンはユーモラス(実際に俳優たちは酔っ払っていたらしい)
酒場に登場する革ジャンヒゲおやじが、絵に描いたような困ったちゃんで笑ってしまった。
悪い意味でも印象に残ったのは、少女と猫のエピソード
自分より弱い存在に対し暴力的になる少女、そのシーンには目を背けたくなる。
しかし、彼女がたどり着く古い教会、その絵からは詩的な美しさが漂い、
これは夢なのか?と思わせるような、幻想的な雰囲気。
この少女が成長し、やがて「ニーチェの馬」の娘役を演じていたらしい。
映像以上に気になったのは、様々な音
風の音、雨の音はもちろん、泣き叫ぶような牛の声、部屋の中を飛ぶ虫の羽音、頭の中で鳴り響く鐘の音など、これによって悪夢感がますます高まっていく。
そうそう、人間の張り上げた声って何より耳障りなんだなと思った。
酔っ払いが繰り返す言葉や、狂人の「トルコ人がやってくるぞ!」の叫び声など、なかなか執拗で不快だった(笑)
少し違和感があったのは、映像から感じ取れるモノは古びていてリアリティがないのに、ラストで明らかになる設定が社会主義国だった当時のハンガリーを反映してるようだったこと。
それと、荘園の廃墟での顔のアップ、この長回しはもうかんべんしてくれ、と思った。
なんだろう、急にここで気持ちが冷めてしまったというか。
他力本願な村人の顔は堕落した者のソレでだったから、目を背けたくなるのかもしれない。
あともう一つ
ナレーションで長々と経緯を説明するの、個人的にあんまり好きじゃない。
映画はやっぱり絵で語ってほしい。
体験としては非常に面白かったけど、度々見たいかと問われるとそうとは言えない。
何年か後に、また劇場で見るのも良いかなと思う。
英文学賞ブッカー国際賞を受賞したクラスナホルカイ・ラースローの同名小説が原作
テアトル梅田 にて鑑賞