ゆるり鑑賞 Yururi Kansho

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「わが母の記」 〜母と息子、父と娘〜

hahanoki

公式サイト:http://www.wagahaha.jp/

監督・脚本:原田眞人
撮影:芦澤明子
美術:山粼秀満
照明:永田英則
衣装:宮本まさ江
編集:原田遊人
音楽:富貴晴美
録音:松本昇和
(2011年 日本 118分)

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
小説家の伊上洪作(役所広司)は、幼少期に兄妹の中でひとりだけ両親と離れて育てられたことから、
母(樹木希林)に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。
父(三國連太郎)が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、
妻(赤間麻里子)と琴子(宮粼あおい)ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、
ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。
(公式サイトより転記させていただきました)

原作は↓井上靖さんの自伝的小説

わが母の記 (講談社文芸文庫)わが母の記 (講談社文芸文庫)
(1997/07/10)
井上 靖

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親子の間でも、本当に大切な事を伝えられていないことってあると思います。
お互いにとことん話し合うという習慣がないと、特にそうなってしまうかも。

ここでは、母・八重と洪作の関係と、洪作と三女・琴子の関係を軸に
物語が描かれています。

長らく“母に捨てられた”と思い込んでいた洪作が、母の気持ちを知るシークエンスがあるのですが、
やはりここが山場でしょうかね。
最初の方に、琴子の「おばあちゃんて詩人なんだね」と言うセリフがあるのですが、
ここに至る伏線だったんだー。

それにしても、しっくりきてない夫と姑の関係を知りながらも、二人の間に生じている誤解を
解消しようと試みない奥さんて、なんだかよく私にはわかりませんでしたが。

琴子と父の関係は、もう少し身近な感じです。
琴子は、家族の事をネタに小説を書く父に対し、反抗する気持ちを持ちながらも気になってしまう。
「土蔵のばっちゃん」と暮らしていた父に対し「なんだかそれってフケツ」と言ってしまうのは、
10代の頃ならではのセリフですね。
この役に宮粼あおいさんというのは、好き嫌いが別れるかも。。。なんて思ったりもします。

何故か“現代劇”と思い込んでいたので、最初の時代背景におやっと思いました。
そうか、井上靖さんて明治生まれの文豪だったのですよね。

格子戸の前、登場人物が道をはさんで視線を交わすあのシーンは、
原田監督いわく小津安二郎の『浮草』(59年)から再現したという事。
京マチ子さんが肉感的な、戦後に作られた方の「浮草」ですね。

後々繰り返し登場する、主人公が幼い頃のこの場面はとても印象に残るシーンです。
他にも、長女・志賀子の例え話に小津の『東京物語』が登場したりします。

また次女・紀子(菊池亜希子)が、かつてベルイマン監督の『処女の泉』を
父のせいで見られなかったとなじる場面があるのですが、
その(清らかな乙女と泉というイメージを持った)シーンのすぐ後に登場するのが、
清き水あふれる場所で親戚の娘貞代(真野恵里菜)が手鼻をかむという
なんともミスマッチなシーン。このあたりは監督の遊び心なのかな。
(彼女が手鼻をかむシーンは、この後も何度か登場)

私が好きなのは、洪作の妹達、志賀子(キムラ緑子)と桑子(南果歩)のかしましさ。
この二人に言わせると、家族から離れ一人日本に残された兄は“ツイてた”らしい。
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また、八重の痴呆からくるボケたセリフも、樹木希林さんが演じるとついつい笑ってしまいます。
笑って良いのか?という後ろめたさをちょっとだけ覚えながらも、やっぱり可笑しい。

井上靖さんが実際に暮らした世田谷の自宅や、軽井沢の別荘でロケをしたという事ですが、
緑豊かな自然の中に日々の暮らしがとけこんでいる、そんな時代を感じさせる映像がそこかしこに。
映像の美しさも魅力的です。

母・八重が東京の家を飛び出して入った食堂で出逢うダンプの兄ちゃん役に
劇団☆新感線橋本じゅんさん、しかもエンドロールの役名が“クールなダンプ男”って、フフフ。

そんな訳で、いわゆる感動母子モノとも言い切れない色んな要素が入った映画です。

大阪ステーションシティシネマにて鑑賞。