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ゆるり鑑賞 Yururi Kansho

映画や海外ドラマ、たまに本の感想を基本ネタバレで

「太陽がいっぱい」 〜陽のあたる場所へ〜

監督:ルネ・クレマン
脚本:ポール・ジェゴフ、ルネ・クレマン
製作:ロベール・アキム
出演者:アラン・ドロン
音楽:ニーノ・ロータ
撮影:アンリ・ドカエ
編集:フランソワーズ・ジャヴェ
(1960年 フランス/イタリア)
原題:Plein soleil

※ネタバレ含みます。

【ストーリー】
富豪の放蕩息子フィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)を5000ドルでアメリカに連れ戻す役目を担った
貧しい青年トム・リプリーアラン・ドロン)は、イタリアで彼と行動を共にする。
しかし、フィリップは恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)を置いてアメリカに帰る気はないようだ。
やがてトムは、フィリップを殺害して彼になりすますという野望を抱く。

今週の“午前十時の映画祭”、難波ではブニュエルの「昼顔」、梅田では「太陽がいっぱい」が上映で、
どちらを見るか迷います。
そういえばルネ・クレマン監督の作品って、劇場で見たこと無いな〜とこちらを選択。
やっぱり劇場で見ると、より良いですね。

なんといっても、ニーノ・ロータの音楽が良いし。これだけで、半分満足。
フェリーニの作品も、内容は忘れていてもロータの音楽だけはいつまでも覚えてます。

Plein soleil
(左からモーリス・ロネ、マリー・ラフォレ、アラン・ドロン

何かとリプリー役のアラン・ドロンに焦点が当てられますが(彼ももちろん素晴らしいと思います)、
他の俳優陣もそれぞれの個性があって、見ごたえがあります。
フィリップは、一種の大らかさのようなものも感じさせられ(富豪の息子ゆえか)、
なんだかとらえどころのない人物像に興味をそそられました。
私がドロンよりもモーリス・ロネの方がタイプなせいかな。

マリー・ラフォレも、ちょっと浮世ばなれしたふわっとしたムードが良いです。
彼女のファッションも可愛い。

オープニングタイトルのクレジットからして、お洒落です。
サン・ローランが幾何学的な柄等を使用したスタイルをパリコレで発表したのは1960年代ですが、
そのさきがけのようなグラフィックデザインがシンプルで綺麗。

この後、イタリア名所の映像が赤いフィルムをかぶせたような色彩で映し出されます。
これを観て思い出したのが「引き裂かれた女」のオープニング。真っ赤な映像が映し出されていました。
シャブロルのこの作品、最初コミカルな部分もありながら結局は殺人へと話がつながっていくところも、
最初はフィリップとリプリーがローマでハメをはずし悪ふざけをするというどこかドタバタな展開なのに、
結局それはシリアスな話への序章でしかないというこの作品と、ちょっと共通するかもしれません。

イタリアらしい大胆な柄のフィリップのジャケットや、その父親からリプリーがもらった懐中時計等、
小道具や衣装が洗練されていて、見ていて楽しいし。

リプリーがフィリップを殺害した後、ヨットが荒れた海に翻弄されるシーンは迫力ありますね。
現在の、いかにも作られた綺麗な映像とは一味違い、臨場感が。
何より、アンリ・ドカエの撮る映像には、魅了されます。

気になったのは、リプリーの卑しさが強調されるような食べるシーン。
フィリップ殺害後の洋ナシ?やフレディ殺害後のチキン。食べ方がいかにも下品でむしゃぶりつく感じです。
そうそう、マルジュとフィリップがヨットでいちゃついてる背後で、リプリーがハムとパンをナイフで切り
無造作に食べるシーンもありました。
また、リプリーがナポリの市場をひやかす場面では、不気味な魚の頭等が映し出され、
今後の展開を予言しているかのようでした。

そんな彼なのに、なぜか捕まってほしくないという気持ちになるのが人間の心の不思議なところですね。
自分も陽のあたる場所へ行きたいと切望する、そんなリプリーの気持ちがほんの少し理解できた気がしたのは
ラストシーンです。映画のタイトルでもある、彼のあの言葉がせつない。

“TOHOシネマズ 梅田”にて鑑賞。