ゆるり鑑賞 Yururi Kansho

映画や海外ドラマ、たまに本の感想を基本ネタバレで

「わたしは光をにぎっている」〜しゃんとする〜

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公式サイト:https://phantom-film.com/watashi_hikari/

監督:中川龍太郎
脚本: 中川龍太郎・末木はるみ・佐近圭太郎
脚本協力:石井将・角屋拓海
96分/2019年/日本


※ネタバレを含みます

【物 語】
亡き両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子の入院を機に東京へ出てくることになった澪。
都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、居候先の銭湯を手伝うようになる。
(公式サイトより転記させていただきました)


「形あるものはいつかなくなるが、言葉は残り続ける」


ドラマチックな展開は訪れないが、この主人公は確実に成長している。
しみじみと、そしてジワジワと好きな作品になった。


二十歳なのに子供のような主人公、最初は澪のグズグズ加減に少しイラッとする。

道を尋ねた相手に、スマホを手渡し黙ってついて行くし。
人気のない道に入りこんだ時、襲われないかとつい考えてしまう私は、知らない人を信用しない都会人です、ハイ。

しかし、やる時はヤル子なんですね(笑)
「犯罪ですよ!」と。
「そんな大きな声出せるのねー」←このおばちゃんに激しく同意。
そして変に妥協して大人にならない、フグ屋での澪の態度に共感した。


何気ないのに素晴らしく印象に残ったのは、澪が銭湯のお湯をすくい取るシーン。

澪が自分の居場所を見つけた瞬間のようで。
まるで光をすくい取ったようで。

山村暮鳥の詩「自分は光をにぎつてゐる」ともリンクして、胸が熱くなった。


薪でお湯をわかす銭湯、いいなー

下町にある古い銭湯、小さな映画館、庶民的な飲食店や市場など。
市井の人々の思いとは別に、消失していく場所やモノに思いを馳せる瞬間も愛おしい。

ちなみに、横浜のシネマジャック&ベティさんがロケ地で使われているよう。
大阪在住でも耳にした事がある劇場なので、一度は訪れてみたいなぁ。


長野県野尻湖、ロケーションが最高ですね。
エンドロールを飾るカネコアヤノさんの曲もいい

同監督の「四月の長い夢」も見たくなった。

 

シネ・リーブル梅田 にて鑑賞

「i ー新聞記者ドキュメントー」〜知る義務〜

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公式サイト:https://i-shimbunkisha.jp/

監督・森達也
企画・製作:河村光庸
音楽:MARTIN
113分/2019年/日本


※ネタバレを含みます

【イントロダクション】
権力とメディアの“たった今”を描いた衝撃の問題作『新聞記者』と同じプロデューサーが、私たちが生きる“今”と“メディアの正体”に警鐘を鳴らす、新感覚ドキュメンタリー!
(公式サイトより転記させていただきました)


ドキュメンタリーといいつつ、監督の主観がかなり入ったエンターテイメント作品という印象
テーマは重いけど


記者クラブ制度なんて、ほんと要らない。

以前から疑問に思ってたこと
内閣官房長官の記者会見は、誰のためのものなのか?
国民の知る権利にこたえるためのものではないのか?

形骸化されていく記者会見の中で、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏さんの存在には注目していた。

が、やはり疑問は疑問のまま残った。


外国人記者達が望月さんを訪ねてくるシーンには、うなづけた。

外国人記者「日本のジャーナリズムは不誠実な方向へ向かっている
監督「望月さんは当たり前の仕事をしているだけ、なのに何故注目されるのか。
僕も何故こうして彼女を撮っているのか。。。」

確かに、この映画が成立するという事自体、この国の危うさを象徴しているなぁ。


しかし、記者会見における望月さんの質問内容(自分に対する質問妨害に関する事)も、ちょっと違うなーという気もする。

個人的には、記者クラブ主催の定例記者会見は止めて、ちゃんとした情報公開の場を設けるべきだと思う。

少なくても、馴れ合いの関係になっているとしか思えない特定の記者だけでなく、フリーの記者でも取材できるオープンな場が必要だと、普通の感覚では感じるのですが。
これって、少数意見なんだろうか?


それにしても、望月さんには頑張ってほしい。
あのパワー、彼女の食事シーンからその生命力が感じられるようで元気が出た。
恨み言を言うでもなく、諦めず事実を追求しようとするところ、
忙しくてもお洒落には気を遣っているところが素敵。


映画で伊藤詩織さんや前川喜平さんの姿を見られたのも、思いがけず嬉しかった。


今の政権下で何が行われているか、民主主義社会の一員なら様々な角度から情報を精査し「知る義務」がある。
そして、情報に流されず自分の頭で考える必要がある。
ついつい流されてしまう自分を反省し、そんな事を考えさせられる毎日です。


第七藝術劇場 にて鑑賞

11月第3週・第4週から公開(大阪市内)の映画で気になるのは

たっぷりとした花弁の気品ある姿とダマスクの芳醇な香り
シャルトルーズ・ドゥ・パルム(10月30日/中之島バラ園)

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この秋は、たくさんの素晴らしい薔薇と出会えました。
薔薇の季節が終わると、ちょっと切ない気分です。


さて、今週末と来週末より大阪市内で上映される映画の中から、気になる作品をピックアップします。

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「タレンタイム」〜忘れがたい映画〜

公式サイト:http://moviola.jp/talentime/

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監督・脚本:ヤスミン・アフマド
撮影:キョン・ロウ
音楽:ピート・テオ
115分/2009年/マレーシア
原題:Talentime

※ネタバレを含みます

【イントロダクション】
2009年7月25日、51歳の若さで亡くなったマレーシアの女性監督ヤスミン・アフマド。
そんなヤスミンの最高傑作で、長編映画としての遺作になったのが今作です。


忘れがたい映画に出会った。

 

厳しい現実を捉えながらも、ユーモアと優しさに溢れている。
大きく包みこむような監督の眼差しが温かで心地よい。

「偏見だらけの世界は 僕の永遠の敵」

宗教や民族の違いを超え、たとえ理解できなくても理解したいと思い合える気持は、今の社会に一番必要なモノかもしれない。

 

ピート・テオの楽曲も、この映画の大きな魅力の一つ。

映画のラスト近く、一番気持ちが盛り上がった時にかかった曲、“I go”


I go (with lyrics) by aizat

 

少年達の抱擁に心震え、涙が溢れた。

青春群像劇とも言えるけど、キラキラした初恋より、ハフィズと周りの友人や母のエピソードにグッときた。

時々はさまれる映像(赤ちゃん!)や、音楽の使い方など独自の作家性を感じさせる。

先日「細い目」で初めてアフマド作品を体験し「あっ、この監督好きだ」と思った気持ちが、より大きなものとなった。

この映画(監督)に関しては、すごく大切に思っているファンがきっとたくさんいるんだろうなーと感じる。


映画鑑賞後、山本博之さん(京都大学 東南アジア地域研究研究所 准教授)による特別講義「ヤスミン・アフマドとマレーシア映画の世界」、素晴らしい時間を過ごすことができた。

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講義で見せていただいた、ヤスミンが撮った映像「恋するタン・ホンミン」と「葬儀(愛おしい欠点)」、これがまたどちらも素敵で胸が熱くなる。

 

山本博之さんの著書

マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界――人とその作品、継承者たち (シリーズ 混成アジア映画の海 1)

マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界――人とその作品、継承者たち (シリーズ 混成アジア映画の海 1)

  • 作者: 山本博之,秋庭孝之,及川茜,金子奈央,篠崎香織,宋鎵琳,西芳実,野澤喜美子,深尾淳一,増田真結子,光成歩
  • 出版社/メーカー: 英明企画編集
  • 発売日: 2019/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

売上はヤスミン・アフマド基金的なもの(正確な名称は失念しました)に寄付されるようです。


というわけで、昨日・今日ファンになった私のような者がこの映画を語るのはなんかおこがましい気がしないでもないのです。

が、無条件(エンターテイメント的ド派手な映画が好きな人は除きますが)でおすすめできる映画に久しぶりに出会ったので、ご紹介しなければ!という気持ちが勝りました。

あー、また観に行きたいなっ


シアター・セブン にて鑑賞

11月第1週・第2週から公開(大阪市内)の映画で気になるのは

中之島バラ園

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万博記念公園と同様、こちらもウェーヴした花びらやまん丸な形など、最近人気の進化した薔薇も多くなってきた気がします。
今回一番強く香りを感じたのは、日本の薔薇「みさき」

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シャロー&カップ咲きで、花弁がタップリでクラシックな雰囲気、魅惑的な甘い香りにうっとり

 

さて、今週末と来週末より大阪市内で上映される映画の中から、気になる作品をピックアップします。

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10月第3週・第4週から公開(大阪市内)の映画で気になるのは

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「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」
主人公がチャーミング、彼女の冒険を応援する気持ちで見てた
シンプルな絵だけどセンスが良くてずっと見てられる感じ
がちゃがちゃしてないのがいいナ
日本のアニメみたいに細かい所まで描き込んでるのも時にはいいけど、
今作はスッキリとした画面から伝わる迫力に潔い美しさを感じた
ロシアが舞台なのにフランス語なのは、残念だけど仕方ないかな。

今週末と来週末より大阪市内で上映される映画の中から、気になる作品をピックアップします。

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10月第1週・第2週から公開(大阪市内)の映画で気になるのは

戦場記者メリー・コルビンの半生をロザムンド・パイク主演で。

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「ホテル・ムンバイ」の後にコレは連続できつかった。
現実は映画以上にどこまでも厳しい、その事ばかり考えてしまう。

「おやすみなさいを言いたくて」(2013年)のように、家族(子供)からの視点が少なく、淡々とした乾いたタッチで描かれているのは好き。
考えさせられるが、映画としては入り込めなかった


今週末と来週末より大阪市内で上映される映画の中から、気になる作品をピックアップします。

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「おしえて!ドクター・ルース」〜“ノーマル”なんてない〜

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公式サイト:https://longride.jp/drruth/

監督・製作ライアン・ホワイト
100分/2019年/アメリカ
原題:ASK DR. RUTH

※ネタバレを含みます

【イントロダクション】
1981年ニューヨーク。日曜深夜、ラジオから流れるトーク番組「セクシャリー・スピーキング」に人々は夢中になった。
誰も教えてくれない性のお悩みをズバリと解決するドクター・ルース。
身長140センチ、強いドイツ訛りの彼女は、そのチャーミングなキャラクターで、たちまちお茶の間の人気者になった。
(公式サイトより転記させていただきました)


これぞ、生きるお手本!


ドキュメンタリーなんだけど、堅苦しさは皆無
ドクター・ルースの人生が、時にアニメーションも用いながらドラマチック(実際ドラマチックだし)に描かれている

 

セラピストとしての彼女は率直に、そしてセクシャリティに関することだけに、その人自身の内面に寄り添いつつ誠実に答えている

お悩み相談の入り口は性であっても、結果的に生きやすくなる方向性のヒントを与えてくれてる感じ

にも関わらず、アメリカでも日本以上に保守的な人々(例えば福音派とか)はたくさんいるわけで

そういう人たちはこの放送を猥褻と捉える
それって逆に性を意識しすぎじゃね?! と思ってしまいますが


10歳にしてナチスから逃れる為スイスに渡り、両親をホロコーストで亡くして孤児になり、その後の人生も波乱万丈
そんな彼女がいかにして、現在のドクター・ルースになったのか

その姿から学ぶところは多すぎるくらいで、なかなか消化できない
それでも「教育が何よりも大切」という言葉には、深く頷いた

笑顔とユーモアを忘れない明るさ、とにかくチャーミング!
周りの人に「ちゃんと食べてる?」と声をかける様子も印象的
不幸を引きずるのではなく、笑って楽しく生きていくその姿勢が大事なんですねぇ


「ノーマル」という言葉が嫌い、政治の話はしないが中絶は肯定する、男女は平等だがフェミニストではない, etc. ,

全ての人に敬意を払う、そんなルースの姿勢は自らの辛い経験から培われたものかもしれない
常にフェアな人だなと感じた


こんなパワフルなルースが二人(もう一人はRBGことルース・ベイダー・ギンズバーグ)も存在する、アメリカの底力みたいなモノを少し感じた
だけど二人ともかなりの高齢、私たちがその精神を引き継いでいく責任があるんだなぁ

RBGの伴侶マーティンも素晴らしかったし、ルースの三度目の伴侶フレッドも映像を通して人柄の素晴らしさが伝わってくる
聡明な女性は男性を選ぶ目も確かという事なのか?と一瞬思ったけど
ルースは二度の経験から学んでの三度目の大成功だったね
フレッドをゲットしたいきさつからも、前向きでポジディヴな彼女らしさを感じて面白い


とにかく映画を見て、ルースの言葉に触れてほしい。


シネ・リーブル梅田 にて鑑賞

「サタンタンゴ」〜ストーリーテリングじゃない〜

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公式サイト:http://www.bitters.co.jp/satantango/

監督・脚本:タル・ベーラ
原作・脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
撮影監督:メドヴィジ・ガーボル
音楽:ヴィーグ・ミハーイ
編集・共同監督:フラニツキー・アーグネシュ
438分/1994年/ハンガリー・ドイツ・スイス
原題:Sátántangó

※ネタバレを含みます

【イントロダクション】
経済的に行き詰まり、終末的な様相を纏っている、ハンガリーのある村。
降り続く雨と泥に覆われ、村人同士が疑心暗鬼になり、活気のないこの村に死んだはずの男イリミアーシュが帰ってくる。
彼の帰還に惑わされる村人たち。
イリミアーシュは果たして救世主なのか?それとも?
(公式サイトより転記させていただきました)


「ニーチェの馬」(2011年)の原点を見た気がした。

すごいエネルギー執念を感じる。よくこんなモノが撮れたなぁと。
この長さに必然性を感じるか、もっとギュッと凝縮したモノが好きか、好みが分かれるところだと思う。


思い返してみると、昔劇場で見たベルトルッチの「1900年」(1976年)は、長かったとはいえ316分だった。
しかも、歴史絵巻物的というかストーリーに起伏があった。

今回は438分という時間に加え、長回しのタルベーラ作品。

という事で、二度ほど意識が飛びました。
全12章で構成されていて、意外にもメリハリがあり
中盤以降は、全く眠気を感じずに没入できたけど。

 
オープニング
ぬかるんだ土、吹きすさぶ風、不毛さを感じさせる風景の描写が延々と続く。
どこか現実味に欠けるようなタル・ベーラの世界に、いつの間にか入り込んでいる不思議な感覚。


タル・ベーラいわく「俳優が逃げることができずに状況の囚人となる」な長回しは、観客に緊張感を与えるという効果も狙っているよう。

その緊張感にプラスされるのがモヤモヤとした不安感
ここでは、イリミアーシュがいつ現れるのかという不安と、その時が先延ばしにされているかのような構成から不吉さも感じる。

そんな重苦しい空気の中、踊り狂う村人達!
このシーンはユーモラス(実際に俳優たちは酔っ払っていたらしい)
酒場に登場する革ジャンヒゲおやじが、絵に描いたような困ったちゃんで笑ってしまった。


悪い意味でも印象に残ったのは、少女と猫のエピソード
自分より弱い存在に対し暴力的になる少女、そのシーンには目を背けたくなる。


しかし、彼女がたどり着く古い教会、その絵からは詩的な美しさが漂い、
これは夢なのか?と思わせるような、幻想的な雰囲気。
この少女が成長し、やがて「ニーチェの馬」の娘役を演じていたらしい。


映像以上に気になったのは、様々な音
風の音、雨の音はもちろん、泣き叫ぶような牛の声、部屋の中を飛ぶ虫の羽音、頭の中で鳴り響く鐘の音など、これによって悪夢感がますます高まっていく。

そうそう、人間の張り上げた声って何より耳障りなんだなと思った。
酔っ払いが繰り返す言葉や、狂人の「トルコ人がやってくるぞ!」の叫び声など、なかなか執拗で不快だった(笑)


少し違和感があったのは、映像から感じ取れるモノは古びていてリアリティがないのに、ラストで明らかになる設定が社会主義国だった当時のハンガリーを反映してるようだったこと。

それと、荘園の廃墟での顔のアップ、この長回しはもうかんべんしてくれ、と思った。
なんだろう、急にここで気持ちが冷めてしまったというか。
他力本願な村人の顔は堕落した者のソレでだったから、目を背けたくなるのかもしれない。

あともう一つ
ナレーションで長々と経緯を説明するの、個人的にあんまり好きじゃない。
映画はやっぱり絵で語ってほしい。


体験としては非常に面白かったけど、度々見たいかと問われるとそうとは言えない。
何年か後に、また劇場で見るのも良いかなと思う。


英文学賞ブッカー国際賞を受賞したクラスナホルカイ・ラースローの同名小説が原作


テアトル梅田 にて鑑賞